『 幸せなお産が日本を変える 』

社会に出る前は知らなかったけれど、

働きはじめて直後、感じたことがある。

会社には、メスがメスのままいれる会社と、

オス化しないと生きれない会社があるということを知った。

 

わたしがなんだかんだで、入社しようとしていたところで、

働き始めてから、

” ここで( 人事部ではなく、現場の営業 )は、もって半年。 ”だなと感じた。

 

面接の時にお会いしていた人事のお姉様方と、

現場で実際に働いている女性の顔色から雰囲気から全然違ったのである。

 

内定者中、働く先営業部の男の先輩にはお会いしたことはあったが、

女性にはなかった。

 

メスがオス化しなければ居残れない会社のことを、保留としてもっておきながら、

とある仕事についた時。その話をわかってくれる人がいた。

その女性は、デパートで働いていた方で、

ルミネとパルコを代表にだし、どちらはメスのままでいれる。どちらは、オス化しなければという話をしてくれた。

オス化しなければいけないデパートで働かれていたその方は

女性の私からしても尊敬に値する女性だったが、

結婚しても妊娠することなく40代を迎えていた。

就職活動中は、知らされることなど一切ないし、

一件強面な会社X社のほうが、実はメスのままでいられたりということも

耳にした。

 

以来、メス化オス化のことは

頭から抜けていたが、久々に目にした。

 

P137 男性社会に組み込まれた女性たち

 

” 男は早くから女の性の神聖さに気がついていました。これを何とか自分の支配下に

置かなければならなかった。そこで男社会の仕組みをつくり、女の世界を排除していきました。体で感覚したり、感性で感じとる女の世界は、合理的、倫理的、科学的、に考える思考の世界より一段劣ったものとしておとしめ、男的発想が支配する社会を

築いていきました。 〜中略〜

男がもっと必要になり、足りなくなったから女まで駆り出さなくてはならなくなった。

でも、女のままでは、男社会に適応できない。そこで男女共学にして、

女を男性化することにしました。女も男化して、社会で働かせないことには、

社会が回らなくなってしまったのです。”

 

” 女の地位(男と同レベルに)が上がったのではない。

女が男に格下げされただけです。”

 

” 男の教育を受けると、女は生理学的には女ですが、精神的には男になってしまいます。”

 

あれだけ、木を切り倒して紙をつくった教科書で勉強してきたのに

いのちのいとなみに関しては、

ほんとうに学んでこなかったんだなと実感したことがある。

くらい、四国讃岐を中心とした 西での経験は私の糧になっている。

 

男性に尽くす女性というのも、精神が男だから、尽くすことをしてしまうんだな。

 

” だからお産をするとき、女としての機能が高まらない。いいお産ができないのです。”

 

幼稚園の園長先生をやっている友達が、

いい企業に勤めている女性たちのほうが、

中卒や高卒の若いママよりも子育てに手こずっていることが多い。

 

自分でなんでも思い通りにできてきてしまっていたから、

はじめて全く思い通りにならない子どもに対面して、

むかついたり、なげきたくなってしまうと。

印象に残っている。

 

” 女性たちよ、だまされてはいけない。あなたたちは、男に格下げされるような性ではありません。もっと女であることに誇りを持て! 女は女であるから素晴らしいのです。”

 

p138

妊娠した女は働くのをやめるべき

 

ごもっとも!

” いい「奴隷」になって、たくさんのお給料をもらうことをめざすのでえはなく、

生き物としていかに幸せに、生き生きと生きていけるのか、そして

その命を次の世代につないでいけるのか、あふれる命の発現を求めていくべきです。”

 

p146 

お産はスピリチュアルな体験

 

” 自然なままに産むと人間はかくも神に近くなるのか。母と子が一体になった心の やすらぎは、悟りに近いのではないかと、私は思います。”

 

ううう、武者震いした。

”「 婦 」という漢字には深い意味があるそうです。「 婦 」は「箒」を持つ、「女」をイメージしてつくられた漢字です。いまでこそ、掃除というと、家事労働のひとつにすぎませんが、「帚」という字はもともとは場を清め、祖先に仕える神聖な行為を意味していたそうです。 ”

 

p155

助産婦は、巫女である。

 

”「 私が産んだ 」 などという傲慢なことは言いませんでした。「私はただ筒になって、神の子を産んだだけ。この子は自分の子であって、自分の子じゃない。女は筒の役目をして、神の子を地上に通過させただけなんじゃないんでしょうか。」というのです。 科学でお産を見ていたら、絶対に出てこない発想です。

本当のお産をすると、自我がなくなってしまいます。神の力、宇宙の力で産むという感覚を得るわけです。それが命を産む感覚であって、科学的な見方では感じられない世界です。 まさに、お産は宗教的行事に近い。”

 

p158 三つ子の魂百まで

 

いったん ここまで。